[013]圧倒的マイノリティ
2017年02月23日
僕らはサークルで好き勝手やっている。否、好き勝手やっているからサークルが成り立っている。好き勝手やることを僕らはしばしば「遊ぶ」と言ったりする。つまり、僕らは遊んでいるのである、ただし、本気で。本気で遊び続けることが、僕らの活動を成り立たせている。
本気で遊び続けることは、誰もがやりたいことだと思う。でも、なかなかそうはできないのが現実だ。やりたいことと、やれることと、やらなきゃいけないことと、やりたくないことが、世の中では混ざり合って僕らの前に現れる。しかも、「やりたいこと」を因数に含んでいることなんてなかなか無い。その中から、「やりたいこと」を因数に含むものを見つけられたとしても、「やっていいのかな?」と立ち止まってしまう。こうやって考えると、本気で遊ぶことすら難しいことで、遊び続けるなんてもう奇跡に近いことである。
本気で遊んでいると、羨ましいと思われる。本気で遊び続けるといじられる、妬まれる、攻撃される。もちろん、全部が全部そうではないし、認めてくれる人もいる。でも、冷静になって考えてみて、認めてくれる人をじっくりと見ると、その人も看板に「人生遊びだ!」とか書いていたりする。結局、そういうことなのだ。遊ぶか遊ばないか、遊べるか遊べないか。
だからこそ、僕らは遊び続ける必要があるし、遊び続けなくてはならないのだと思う。僕らが遊べば、同じく遊んでいる人が寄ってくる。遊ばない人はもしかしたら近寄ってきてくれないかもしれないけれど、遊べない人たちのことは勇気づけられると思う。「遊んでいいんです!遊んでいても、本気ならなんとか生きてられますよ!」と。僕らがこうして圧倒的マイノリティであり続けることが、新しい価値観を生むきっかけになると思う。
学生室長 Takuya Kobayashi