[006]「読書会ってちょっと行きにくい」
先日,codolaboゼミの三回目をおこなった。初回に自分たちの専門領域について話し合い(出発点),二回目ではバウマンの「リキッド・モダニティ」に触れた(一つ目の観光地)。三回目の今回は,ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を取りあげた(二つ目の観光地)。
前回に比べ,旅の仲間も慣れてきたのか,活発に意見が飛び交った。僕が描いていたこの旅(ゼミ)のイメージは,まさに,こういった侃侃諤諤な状態であった。定番の概念にスポットライトをあて,現在進行形の僕たちが再発見を重ねる。表に出さない子も,ココロの中ではグツグツと考えを煮込んでいる。そうやって,みんなで少しずつ強くなっていく。自分だけでは太刀打ちできない概念でも,みんなでかかれば引っ搔き傷くらい付けられる。いよいよ,活動として面白くなってきた。
「言語ゲーム」の内容に触れるのも野暮なので,もう少し活動の面について述べる(活動後記だから当たり前)。今回,この活動にとって厄介な事実が一つ浮上した。それは,この読書会が「敷居の高いもの」として学生に受け入れられてしまうということである。確かに,ゼミという名前や,読書会という活動形式は,少々難しそうな印象を与えるだろうと思っていた。だからこそ,普段の声掛けでは,その「敷居の高さ」をいかに克服するかに注力していた。それでも今回,「来るまでは気が引けていた」「考えがまとまらず気が引ける」などの言葉を直接聞き,「敷居が高い」という先行イメージを払拭するのは難しいのだということを再認識した。
来てくれてからは,「来てよかった」となるのだが,来てくれないことには何も始まらない。だからと言って「来ないやつが悪い」と,お高くとまっているだけでは問題は解決しない。活動内容自体は,サークルメンバーのエンパワメントに最適な内容だと自信を持って言えるだけに,活動の小規模さがモドカシイ。自分はいつからこういう活動(ムズカシイ本を囲んでの読書会)に興味を持ったのか,なにがトリガーになったのか,そんなことを考えながら,今後の活動の改善を行っている。